あるオッサンのブログ

単なるオッサンの足跡です。

3度もマイホーム買っちゃいました!(その1)

今日はまた、前回と全く別の話がしたくなり方向転換します。人生においてビッグイベントであるマイホームの購入についてです。

 

社宅からスタート

就職して初めて配属されたのが郊外にある事業所でした。テレビを作っていた工場です。町の商店やレストランが私の勤めていた会社の工場の恩恵を受けて成り立っているような町で、最寄りの駅まで車で30~40分くらいはかかり皆が陸の孤島と呼ぶようなところでした。一応、関東地方ですが。

工場に配属されて、社宅に入ることにしました。工場から自転車で10分程度のところにあり当時としては鉄筋3階建てで、それなりに立派なものでした。多くの家族持ちの社員は、その社宅を利用していたので私も漏れずに利用しました。家賃が1万円そこそこなので、皆さん、ここで数年間頑張ってお金を貯めて家を建てて出ていくという人が多かったですね。

私も皆さんに習い、マイホームを持てるように蓄えを行い確か7年目位に家を買う事にしました。当時はちょうど、タイミングが悪くバブル期で家の値段は上がる一方の時期でした。郊外の小さな駅の近くと言えども、サラリーマンが購入できないような値段の物件が多い中で、運よくそこそこの物件を探すことができました。

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マイホームのイメージ

初めてのマイホームが・・・

町の小さな不動産屋が仲介する物件で、既存の住宅街の空き地に建てられた新築2階建てでデザイン的にも小ぎれいで私もかみさんも、すぐに気に入ってしまいました。駅から歩いて10分くらい、会社まで車で40分程度、周囲は住宅街、日当たりは悪くないということで、早速契約です。頭金は確か1割程度用意したはずです。

 

ところが、住んでみて初めて大きな落とし穴に気づきました。具体的には割愛しますがかみさんが拒否反応を示し、出ていかざるを得なくなりました。

 

購入元の不動産屋に相談したところ、幸いにして新たな居住者を見つけてくれました。他方で次の新居を探すことになったのですが、たまたま家の中で新聞を整理していた時、そこに広告として住宅の売り出しを見つけたんです。公団が手掛ける新興住宅地のようで多くの住宅の売り出しが掲載されており、よく見ると締め切りが迫っていました。早速、現地に行ってギリギリセーフで応募したところ、運よく抽選にパスして新居を入手することができました。

 

田んぼの中のマイホーム

もうお分かりのように、最初に住んでいたところから新たなところに移る過程で、最初のマイホーム用の頭金に相当する程度の費用がかかりましたが、背に腹は代えられないと考え移り住むことを決めました。

 

ここでの教訓は、家を購入する場合に、駅からの距離、会社までの通勤時間は調べますがそれ以外にも調べないといけないことが色々あるということでした。考えてみれば当たり前かもしれません。一生になるかどうかはともかく長期間に渡ってそこで生活を営むわけですから、家の日当たりは当たり前の話として隣近所にどんな人たちが住んでいるのか、事前に挨拶をして話してみるとか、その他、スーパーや病院の場所、子供がいる場合は学校までの通学時間と通学ルートなど、実際に生活することを想像し、そこで必要となる事柄に対して事前に調べることが必要だということです。また、朝、昼、晩に訪れてみる、それを繰り返してみるなども必要です。

 

新居は周りが田んぼのようなところでしたが、周囲一帯が大きな新興住宅地ということもあり、皆さん同じように新たに引っ越してきた人たちがほとんどということから付き合いやすい人たちも多く、住みやすいところでした。難点は最寄りの駅まで徒歩で30分ほどかかること、小学校まで子供の足で40分くらいかかるということ、ただ学校へは通学専用のマイクロバスが出るようになったのでそれは救いでしたが。

子供たちにとっては、自然豊かな環境の中で仲のいい友達と学校生活を楽しむことができたと思います。毎年、運動会のシーズンになると弁当持参で校庭のトラックの外側に皆ビニールシートを敷いて応援、さらにその外側には縁日さながらの屋台まで並びました。

 

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運動会のイメージ

この続きはまた、次回とさせてください。次回はこのマイホームを手放さざるを得ないというところから続けます。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。